ゅぃゅぃ日記

声優、小倉唯さんを応援しています。

"小倉唯" さん

様々な出来事があり、様々な感情がありました。
ここから先の文章は、女性声優さんによる一切の閲覧を禁じます。

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ボイラジ~僕の好きなパーソナリティ~ 第5話より




小倉唯さんという女性声優さんについて、皆さんはどのようなイメージを抱いているでしょうか。

友人や知人に「小倉唯さんの大学卒業が確定した、めでたい」という話をすると、きまって「えっ、小倉唯さんってもうそんな年齢なの!?高校卒業じゃないのか……」といった反応*1を受けることからもわかるように、彼女のイメージには常に「幼さ」が付き纏っているように思えます。そんな小倉唯さんの8枚目のシングル『白く咲く花』が先日発売され、音楽ナタリーで物凄いインタビュー記事が公開されました。

より素の私に近いと言いますか……1人の人間として、小倉唯としてもっと強くありたいという思いだったり、
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実は最初もっと柔らかい歌詞だったんですよ。ここまで芯の強い感じのカッコいい歌詞ではなくて、もうちょっとキラッとした、普段の小倉唯のイメージに近いような歌詞をいただいて
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今の私自身のことをよくわかってもらえる、そして小倉唯という存在自体のヒントをより得られるようなシングルになったんじゃないかな

小倉唯「白く咲く花」インタビュー|変わらない信念を抱き、新たな世界へ (1/3) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

小倉唯という存在自体のヒント」という表現からは、鮮烈かつ超越的なまでに達観した印象を受け、これを目にした時は頓狂な声が思わず上がり、言い知れぬ愉悦の情が沸き起こり、その味わったことのない快感に心が激しく打ち震えました。それは彼女の「表現者」としての成長を文面から感じ取ったからかも知れませんし、もしかしたら「小倉唯さんの存在に意義を見出そうと躍起になっていたボクの思考や思想は既に小倉唯さんによって掌握されていた」という事実の認識、ボクの視点から一方的に見えていた関係性の転換にコペルニクス的転回を得たことによる快感かも知れません。

ボクという人間は小倉唯さんのことが大好きです。大好きな人のことをより深く考えたり、際限なく知りたくなるという欲求、オタク活動を続けていれば「"小倉唯" とはなにか?」という自己への問い掛けは自然と生じるものに思えます。

だって、約6年半ですよ。「ぜったいお前が好きな容姿だから行ってこい」と悪友(恩人)に握手会の参加券を渡されて初めて参加した小倉唯さんのイベント、2011年09月24日に開催された『ゆいかおり 1stアルバム「Puppy」キャンペーンイベント!』で、その幼くあどけなくありえん整った容姿、バカでかく吸い込まれそうな猫目の瞳、舌っ足らずで魅力的な声帯、触れることもおこがましいぷにぷにのお手々に身も心も包み込まれたあの日から、それだけの歳月が流れているわけです。

初めて会ったときの小倉唯さんは高校1年生、それこそ正真正銘疑う余地のない「無垢の少女」であり、少女であることは「需要」であり、世間に求められるがままメディアへの露出の機会を増やしている、経歴として役者あがりではあるものの、声優としては活動を始められたばかりの新人さんでした。冒頭でも示したとおり、自分の中の小倉唯さんのイメージといえば、やはり「幼さ」というものが尾を引いていて、長らくの間(今も名残はあるが)固着したものをアップデートできずにおりました。

その少女であった小倉唯さんがひとりの人間としての自己を獲得し、自立した「大人」の女性に至るまで過程を、成功への階段を駆け上がるシンデレラストーリーを、ファンというもどかしい距離感からではありますが、ほぼ毎日のように、彼女のブログやイベント、LIVE の MC、インタビュー記事を通して発信されるお気持ちの表明を享受し、大きな発表があれば自分のことのように喜ぶ、そのような生活を長らく続けてきて、只のコンテンツとして、消費の対象として無配慮に小倉唯さんと接するということは、それはむずかしいことなわけです。

なにがきっかけだったかもう忘れてしまいましたが、小倉唯さんを応援する上で、彼女のことを深く知る中で、小倉唯さんへの接し方、ということについての葛藤がボクの中に渦巻いておりました。「なんだよ "ゅぃゅぃ日記" って、バカじゃねーの」って気持ちにもなりました*2。そもそもこのブログは、小倉唯さんのブログの更新が途絶えたことによって心の拠り所を見失い、精神的に不安定となってしまった貧弱すぎるオタクが「じゃあボクがブログを書きます」とかいう意味不明な動機付けで開始したわけでありまして、「では何を書こうか?」となったときに、ボクはオタクでありましたから、自分だけが知っている小倉唯さんの情報を公開して皆さんに小倉唯さんに内在する魅力のいちばん深いところまで知っていただこう、とそのような経緯で更新を続けていたものであります。

今になって振り返ってみると、この小倉唯さんのブログ更新が途絶えた時期というのは、彼女にとっていちばん仕事が苦痛で悩み、将来への不安を抱えていた時期であろうことは想像に容易く、いったいボクは小倉唯さんのどこを見ていたんだ、他にやるべきこと、気にすべきことがあったのではないか、といった後悔の念で心が苦しくなります。

そんな過去の過ちについて漠然と考えたり、考えることから逃避していた時期というのが2016年後半以降、「オタクはオタクらしく大好きなアニメの考察記事でも書くか……」と方向性の転換を決意したところ、皆さんご存知のとおり 2017年03月31日に「ゆいかおりの活動休止」発表がありました。発表があった日、あまりにもつらくて耐え切れず、「飲みに行きましょう」と誘ったところすぐに駆け付けてくれて、終電付近までボクの憔悴しきった心の保養となるオタクトークに付き合ってくれた石原夏織さんのオタクには頭が上がりません。

その後、石原夏織さんは2018年03月21日に1stシングル『Blooming Flower』で華やかなソロデビューを飾りました。順調に Carry up!? を遂げている石原夏織さんの躍進を見ていれば、彼女の意思というのは明確に捉えることができるし、彼女のファンの皆様方がとても快活に各々のオタク活動に努めている様子を見ていると、彼女の選択は英断であったと言えるでしょう。ボクもそれが「ひとつの正解」であるということを、ひとりのゆいかおりファンとして今は自信をもって宣言することができます。

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ボクはカップリングの『Untitled Puzzle』が好き。

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でもやはり、活動休止直後のボクの心というのは常に猜疑心に揺られ、その事実の理解というのを拒んでいたように思います。その理由の大部分は「石原夏織さんが何を考えているのかさっぱりわからない」ということに依拠しておりました。これはもう、オタクの妄言といいますか、なにを言っているんだこいつは……と聞き流してもらっても構わないのですが、ボクの視点では、小倉唯さんが自分のお気持ちを次々と表明していく一方で、石原夏織さんというのは、相方に触発されるわけでもなく、あまり自己を露呈させない、というふたりの心情表明の対比という部分でモヤモヤしたものを感じていました。

そのような意識が根強かったため、ゆいかおりLIVE TOUR「RAINBOW CANARY!!」での石原夏織さんの以下のリアクションは予想外で、つよく心を打たれたことを覚えています。

石原さんはツアー初日の大阪公演の際、『星降る夜のハッピーリンク』で涙があふれてた時のことにも触れました。「(久しぶりの公演ということもあり、実は自信が持てないままだったが)ステージに上がったら、みんなは私が思った以上の熱い視線で迎えてくれました。歌詞の『君がいつも探してる 大事なものはいま ここにある 手を伸ばせば ここにあるよ』は、私たちからみんなへのメッセージだけれど、自分のことも言われているなって」と感じた時に、これまでの楽曲や歌詞、ファン、スタッフ、そして小倉さんの存在が「私の人生にとって大切なものだ」と胸に迫り、涙になったのだと話します。

『ゆいかおり』日本武道館ライブレポ | アニメイトタイムズ


このときボクは、初めて石原夏織さんという個人のことを少し理解できたような気がしました。いつも素晴らしい演技で魅了してくれ、小倉唯さんといっしょになってたのしそうにおちゃらけている魅力的な相方は、声優、アーティストとして急成長を遂げてゆく小倉唯さんと肩を並べながら何を思うのか、そのことばかりに意識が向いていました。なので、隣にいる石原夏織さんも LIVE という空間を全力でたのしんでいる、その当たり前の事実を知ることができただけでとても嬉しく思いました。ボクはバカで不器用なので、不要な思考が働いて邪推をしてしまったりするかもしれないし、言葉で直接伝えてもらわないと相手の心情を読み取るなんてことはできないのです。

LIVE MC で涙が溢れる一幕など顕著ですが、「弱みを見せる」という行為にやはりオタクは弱い気がします。しかし、弱さばかりを見せている脆弱なアーティストが正解なのでしょうか。それとも、弱さを一切見せない孤高のアーティストが正解なのでしょうか。そもそも「弱さ」とはなんでしょうか。どこまで見せることが適切なのでしょうか。

──今でも自分の中に意識的に「人に弱みを見せたくない」と強くあろうとする部分はあります?

そうですね……根本的にはずっとあると思うんですけど、「Honey♥Come!!」の頃と比べると最近はかなり自己開示をできるようになってきたかな。
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──「白く咲く花」は小倉さんの本質的なところや今のモードに重なる楽曲だとは思いますが、一般的なイメージで言うと小倉さんはそれこそ「Honey♥Come!!」や「Baby Sweet Berry Love」のようなキュートでポップな楽曲の印象が強いと思います。学生生活が終わる大事なこのタイミングでシングルの表題曲にこういった大人っぽいナンバーを持ってくること、その挑戦に対する怖さはなかったですか?

さっきの自己開示の話につながることかもしれないんですけど、ここ数年で自分が思い描いてた「こうじゃなきゃいけない」というイメージがだいぶほぐれてきたことによって、最近はだんだんファンの方に対しても「こういう面も見せていいんだ」と思うようになって。素の自分に近いものを見せることが、前よりもだんだん怖くなくなってきたんですよね

小倉唯「白く咲く花」インタビュー|変わらない信念を抱き、新たな世界へ (1/3) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

この問い掛けに対しての「ひとつの正解」というものを、小倉唯さんという女性声優さんは明確に捉えることができているように見えます。思うに、この「こういう面を見せていいんだ」という気持ちの表明は、ファンとの信頼関係に裏付けられた行為ではないでしょうか。田村ゆかりさんという大御所の女性声優さん、皆さんご存知、ゆかり王国の姫であらせられる御方でありますが、彼女の LIVE MC を聞いたときの衝撃というものを今でも覚えています。

オタクが自分の「弱さ」を吐露する場合も同様です。見ず知らずの人間相手に自分の弱点をさらけ出す行為は、低い自尊心に引き起こされた自傷行為に他なりません。そうではなく、応援し続けてくれるファンの存在に信頼を寄せていて、この人たちならば自己を開示しても受けて入れてもらえる、といった安堵感、期待のようなもの、そして受け入れる側も相応の準備が整っている、言い方は悪いですがこのような「共犯関係」というものをじっくりと育んできたからこそ「弱さ」であったり、「どーでもいい話し」であったりが尊いものになり得るのではないか、そのように思います。小倉唯さんが自宅の冷蔵庫でスライムを冷やしていたらママから「気味が悪いからやめて」と叱られて「もう22歳なんだからすきにさせて!」とブチギレたエピソード*3とかすごく良かったです。

最近読んでストンと腑に落ちたのが、ブライアン・イーノ表象文化論です。

さっき言ったように、科学は宇宙がどうなってるかといった物事の仕組みを説明することができます。生活を便利にしてくれるテクノロジーとは、そういうものです。しかし、物事や人の価値観に触れることはありません。人が何を感じて、どう考えるか、それはアートが教えてくれます。一人ひとり違う私たちが、同調してコンセンサスに共感する、そのポイントを作るのがアートです。 アートは複雑なメッセージの塊なんです。触れることで良い時間を与えてもらったと思える、そんなものなんです。 子どもたちを見てください。ずっと遊んでいます。何をやってるか、分かりますか? 想像しているんです。自由に感じて、人の考えを理解しようとしています。

【Sonar 2016】「遊びとは何か?」ブライアン・イーノ、文化の社会的な役割について語る | FUZE

少し拡大して解釈しすぎかもですが、一人ひとり生活も考え方も違うファンの方々が一同に会し、一人の「アーティスト」の創出する空間に身を置いて、一人のしあわせを望んで同調し、コンセンサスに共感する。あの劇場という空間は、貴重な遊びの場であり、学びの場であり、ファンと演者の相互交流の場でもあるわけです。だからオタクは LIVE が好きなのではないでしょうか。


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少し整理して話を本筋に戻しましょうか(これは書きながらボクの思考も整理しています。まだ続きます、オタクは語りたいことがたくさんある)。ファンに対しての信頼を寄せ自己の開示を続けてくれる小倉唯さんの活動を、その名誉を毀損しているのではないか、といった負い目を感じていたボクは、オタクに話すと笑われてしまいそうですが、2ndアルバム「Cherry Passport」のリリースイベントの際に「ボクなんかが小倉唯さんに会うべきではない…」といった意味不明な自己否定感に苛まれてCDを買うだけ買って応募することができませんでした。仲の良いオタクにその心情を吐露したところ、「オタクは自意識過剰すぎ」とバッサリと切り捨てられてしまいました。そのとおりだな、とは思います。それ以降もゆいかおりの活動休止のショックで立ち直れず、2017年はゆいかおりについて考えるということから目を背けておりました。それでも「何か意識を改革したい」とか「小倉唯さんに釣り合う人間になりたい(?)」といった謎の向上心は持ち合わせており、そんな折に出会ったアニメが「エロマンガ先生」でした。突然「こいつ頭大丈夫か…」とツッコミたくなるような文字列が出現しましたが、大丈夫、ボクはとても真剣です。

anime.dmkt-sp.jp

エロマンガ先生」は伏見つかさ×かんざきひろ原作の2017年春アニメで、自分の部屋に引きこもってずっとイラストを書いているPN: エロマンガ先生こと「和泉紗霧」ちゃんがコミュニケーションのむずかしさに立ち向かう超絶かわいい最高アニメーションです。なぜ突然この作品を引用したかというと、それは和泉紗霧ちゃんに大切なことを教わったからに他なりません。

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エロマンガ先生「フリフリぱんつ~♪」 | 第3話 全裸の館と堕落の主(あるじ)より

上記キャプチャは隣の豪邸に引っ越してきた天才美少女ラノベ作家: 山田エルフ先生の作業場から、よもや誰かに見られているとは思ってもいない引きこもりの妹、和泉紗霧が創作活動に興じている姿を視認する、という重要なシーンです。

山田エルフ「妹、絵描いてるの?いつもあんななの?楽しそう。ああじゃなきゃね。素敵な絵ができるって事よ」

このシーンから受け取ったボクの素直な心情を書き表すとすれば、「和泉紗霧ちゃんになりたい」という表現が適切でしょう。オタクにとって自分の理想とする美少女を創作する、という活動は憧れであり、一度は夢見るものではないでしょうか。ボクも例外ではなく、高校、大学となんとなく筆を手にとってみる機会はあったものの、己の技量の無さ、既に一定の技量を獲得している知人との離れすぎた距離感に愕然とし、それ以来消費者としての地位を甘んじて受け入れていました。そのような、自分の理想と乖離したオタクはたくさんいるように思います。

でもやっぱり、かわいい女の子は創作したいんですよね。和泉紗霧ちゃんが鼻歌でリズムを取りながら、えっちなイラストを描き上げている姿を見て、心からたのしそうで良いな、と純粋に感じたのが自分の転換期となりました。人に話すと「そんなこと……」と鼻で笑われてしまいそうですが、それ程までに可愛く、たのしそうで、活き活きとした和泉紗霧ちゃんがそこにはいました。山田エルフ先生の「やる気MAXファイヤーのとき以外、死んでも小説なんか書くなよ!」「やる気ないときにおもしろく書いた文章より、やる気MAXファイヤーで書いた文章のほうが絶対におもしろいに決まってるでしょ!」ってセリフも大好きです。丁寧に仕上げてくださった A-1 Pictures のクリエイターの皆さまには感謝の念しかありません。

そんなこんなで自分の中の純粋な感情、「たのしいこと、好きなことをやる!」という内的動機付けに支えられ、創作活動に手を出してみたのが2017年の後半でした。イラストやテクストで何かを表現すること、自分の思想を作品に反映する作業を通して声優、アーティストなど創作者側の心情を理解できるのではないか、という淡い期待も含まれていたのかも知れません。前回の記事、オタクとして消費者として一流でありたい、という話も、この「好きだからやる」という内的動機付けに基づいた持論を展開しているつもりです。誰かに求められたからやる、とか、誰かの承認を得たいからやる、ではなくて、自分がやりたいことをやる。その結果として誰かからの承認を得られたとすれば、それは副次的な効能であり、自分の好きが人の好きに寄与できたものとして素直に受け入れれば良い。という考え方にシフトしていきました。「推しの幸せがワタシの幸せ」なんて呪いのような言葉もありますが、そうではなくって、「自分が幸せになって、ついでに推しも幸せにする」というのが究極に理想的なのではないかと思います。

自分の好きに正直に、アニメとしては「ひなこのーと」「異世界はスマートフォンとともに。」「三ツ星カラーズ」が自分のカンカクってもんにぶっ刺さりまして、その作品のいずれにも出演されている声優の高野麻里佳さんのことを気になり始めたのもこの時期のことでした。彼女も小倉唯さんと同様に、アイドル声優として、ファンに求められるものとアイデンティティの狭間でカッコよくお仕事をされている素敵な女性声優さんの一人であるため、また機会を改めてご紹介できればと思っている次第です。


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そして、2018年3月です。小倉唯さんの 2nd LIVE TOUR「Platinum Airline 」の真っ只中であり、8枚目のシングル、初のノンタイアップ楽曲である『白く咲く花』の発売月でもあります。ボクがこんな長文ブログでお気持ちの整理をしたくなってしまったのも、すべてはこの『白く咲く花』の内包するバカでかいメッセージ性により誘発された感情に起因したものとなります。

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アニメなんかそうですが、一段階上のメタな視点からたのしもうとする行為は「本来的なたのしみ方ではない」とか「もっと肩の力抜けば?」などと言われてしまい、人に勧めるのも憚られる行為に感じられます。以前書いた異世界スマホ等の考察記事からもわかるかと思いますが、ボクはアニメを見るときに制作側の意図を読み取ろうとする、または制作側の意図に反した見方をしてやろうとひねくれた態度を取るのが大好きであるし、好きなアニメの制作陣による座談会がロフトプラスワンで開催されると聞けば大喜びで足を運び、その「裏側」を覗くということが堪らなく好きなオタクです。今期アニメでいえば、「三ツ星カラーズ」に於いて、原作とは異なる時系列で構成された物語の構造、加筆されたセリフ、季節感の導入等に演出意図を見出すオタク活動に従事しております。

その一方で、日常的に「好きだな~」と何度も繰り返し耳にしているはずの「楽曲」に関しては、そのような「メタ視点を導入したい」といった感情を抱くことは今まで殆どありませんでした。とにかく、音楽に関しては「メロディラインが自分の感性と合致するか否か」ということを最重要視して今まで生きてきました。

では、『白く咲く花』のバカでかいメッセージをつよく意識するようになったのは何故かといいますと、作詞家: 大森祥子さんの以下のツイートに衝撃を受けたということが上げられるでしょう。

アーティストが与えられた歌詞を咀嚼し、その意図を、情景を、音の強弱や声の震わせ方に反映する作業、というものは当然あるという認識でおりましたが、その逆に「アーティストの意向を歌詞に反映する」という意識はまったく持ち合わせていませんでした。アーティスト側は常に「受け取る側」であるという機能固着がボクの中には根付いたようです。例えば、欅坂46の少女たちにすげー詩を歌わせるな、でもその無垢で無知な少女たちが何も分からず重要なことを歌ってるのはエモい(?)よな、とかすごい失礼で適当なことを思って今まで生きてきました。

『白く咲く花』の歌詞を、一度じっくりと読んでから MV を視聴してみてください。Aメロの「希望と自立」を感じさせる詩、Bメロの「葛藤や不安定な心情」、語末の「…」から現れる自信のなさ、そして、このAとBの対比を身体表現、特に身体の側面を主体とした振り付け、しなやかな腕の上がり下がりが感情と連動しているようで、小倉唯さんが体現するその優美さは未知の表現でありながらも既に完成されている、そのように感じられ心が打ち震えました。なんといっても複雑な心情を抱えたままに突入するサビのメロディラインが好き過ぎます。「本音を曲げて 嘘をついて 得る正解って何だ?」という詞はオタクによく刺さる。エロマンガ先生の和泉紗霧ちゃんに触発されて「好きなことだけをやっていきたい」という気持ちを整理した直後の出来事であったことは、ボクの思想や夢を後押ししてくれているようでオタクの身勝手なカタルシスを引き起こすに十分でありました*4。「一途さを武器に」「汚れたって綺麗」という部分は小倉唯さんの仕事への変わらない姿勢、その誇りや誠実さを的確に捉えているように感じられ、応援してきたボクたちが得られる安堵感、未来への希望のようなものを意識せずにはいられません。

そして、このようなバカでかいメッセージ性を秘めた歌詞を背負うアーティスト側というのは、それ相応の負担があるように思われて、小倉唯さんが自らそれを背負う選択をしたという事実には大きな動揺がありました。言葉というものは、ときにその人の行動、成長を阻害する枷にもなり得る、扱うことが難しいものだという認識がボクの中にはありまして、例えば、ゆいかおりのふたりがそれぞれソロ活動の道を進むと決めた今になって、未だにゆいかおりの幻影を追い続ける亡者の声は、ふたりのアーティストイメージを、その可能性を縛り付ける枷になってしまうのではないか、など、そういったことを考えては迂闊な発言はできないな、と身を引きしめていた昨今ではありましたが、今のしなやかでいて芯の太い小倉唯さんや、目標を真っ直ぐ見据えてその道から逸れることなく突き進んでいる石原夏織さんの活動を見ていれば、そのような心配は杞憂であるし、むしろこのような歌詞はふたりの成長の糧にすらなり得ると思えるようになりました。これはあくまでも個人的な感覚なので、推しの寛大な心に甘えて無配慮に発言してしまうのもどうだろう……という心配は拭えないところではありますが。


***


ここで冒頭の問い掛けにやっと通ずるのですけれど、

小倉唯さんという女性声優さんについて、皆さんはどのようなイメージを抱いているでしょうか。

自己を開示する、という話にも関連するところですが、小倉唯さんの過去の LIVE の MC では、いつも応援して支えてくれるファン方々への感謝とともに、何度もお仕事を辞めようと思い悩んだこと、お仕事がつらくて学校の教室で泣き出してしまったこと、など、彼女の「弱い」一面というのも吐露しておりまして、ファンの方々というのは、そのような一面も承知しているところでありました。今にして思えば、そのように「自己を開示する」行為こそが、信頼関係を築いてきたファンの方々に「弱さを見せられる強さ」であり、彼女の中ではとっくに克服できている部分であったのかもしれません。

ボクが長らく抱いていた小倉唯さんの幼さ、その「儚く脆い小倉唯」という表象はもうどこにも存在していないことに『白く咲く花』を介して気付かされました。小倉唯さんの可愛さは健在であるし、その容姿の幼さというのはいくつになっても変わらないものでありますし、ぜったいに変わってほしくないものでもありますが、それだけが小倉唯さんの魅力ではない、ということを改めて認識することができた、そのような素晴らしいシングルであったように思います。もとより、今回のシングルは「ノンタイアップ」ということもあり、既存の作品の世界観やコンセプトに引きずられない「小倉唯」さんのアーティスト性のみをつよく指向した名盤であると言えるでしょう。

この楽曲は現代だからこそいいなって思える部分があるんですよね。皆さんの中でも、ぜひ自問自答していただきたいと言いますか……うん。なんか私はやっぱ、今の世の中というものは、まことしやかな情報が錯綜しているから、そういう部分に疑問を感じるタイプの人間なので……そういう部分で皆さんも受け流されている本来の感覚とか気持ちっていうのを再確認してもらえればいいな、なんて思ってますね

小倉唯yui*room 2018年3月19日 第38回 12:10付近より

もう、ボクの思想というか信念というものと小倉唯さんが同調しすぎている(?)ので、小倉唯さんのことが好き過ぎて困っているのですけれど、ボクにトドメを刺したのはこの間の LIVE MC です。

唯「しあわせな毎日を過ごしていきたいですよね。
 これから歌う曲にはそんな思いが込められています。
 大学で教わったことがあるんですけど、心理学者アドラーの幸福の3条件というのがあって、

 1つめは、自分のことを受け容れられること
 2つめは、他者を信頼できて受け容れられること
 3つめは、自分が何か社会の役に立っているということ

 これらが満たされると人はしあわせを感じるそうです。
 社会的地位や環境関係なく、しあわせは作れるんです!
 みなさんはどうでしょうか。
 自分を受け容れることは難しいことかと思いますが、今は心が解放されている状態ですね?
 “好き”に向かって真っ直ぐ。
 1つめの条件を満たしてますね(^_^)

 そして、他者を信頼できて受け容れられる。
 私がいるよ♡」

1523 小倉 唯 LIVE TOUR「Platinum Airline☆」supported by JOYSOUND 東京公演に行ってきました!! より
※ 許可をいただき文章の一部を引用させていただきました。いつも素敵なレポートをありがとうございます!

自分が感じたこと、やってきたオタク活動を文章に起こしてみると、自分の「好き」を再認識できてとても気持ちの良いものです。ボクがなぜ "小倉唯" さんを好きなのか、それが明確になることはめーっちゃめちゃめちゃ気持ちが良い。そんなわけなので、皆さんも自分の「好き」を明確にしていきましょう。

*1:本当に小倉唯さんの年齢について意識を向けてこなかった、あるいは本来の年齢を知った上での儀礼的な反応、どちらもある

*2:読み返してあまりにもバカバカしかった記事は消しました。スッキリした

*3:【無料】Aこえ-My Girl meets Aこえ-My Girl meets Aこえ with 小倉唯 2018年3月17日放送 #6 - Abemaビデオ | AbemaTV(アベマTV)

*4:オタクは女性声優さんやその人の関わるコンテンツと自分の思想を重ねて勝手に気持ちよくなったらいい